
ライラ号艦長 バジル・ホール
(1788-1844)

琉球の首長と二人の息子

琉球の僧侶と士族

泊港の風景

ライラ号との別れを惜しみ見送る人々
店名の『ライラ (Lyra)』とは、1816年にイギリスから琉球王国に調査にやってきた『ライラ号』という帆船の名前から命名されました。
このライラ号を率いた若き艦長『バジル・ホール』は琉球で見聞した出来事や人々を詳細に記録し、帰国して『大琉球航海記』(または『朝鮮・琉球航海記』)を出版し、この本は当時ベストセラーになります。
「(琉球の人々は)その立ち居振る舞いも、もっとも身分の低い者たちでさえ、上品で節度がある。好奇心は旺盛であったが、無作法な詮索などはみなれなかった。」-------バジル・ホールはそう記し、当時の琉球の人々が類い稀なホスピタリティと道徳心に溢れ、武器を持たず、極めて好意的であったと褒め讃え、船員と琉球の人々との交流を感動を込めて書き記しています。
西洋から見ればアジアの片隅に浮かぶ小さな島でありながら、日本とも中国とも違う独自の高い文化を花開かせた『Great Loo-Choo Island(大琉球)』。
この島に、21世紀に再び現れた『ライラ号』=『舞台と地料理 ライラ』に乗って、新鮮な驚きや感動に満ちた琉球・沖縄文化との出会いを提供したい---------『ライラ』にいらした全てのお客様に『現代のバジル・ホール』になって頂きたいのです。
バジル・ホール『大琉球航海記』からの引用
「この島の人々とつきあってきたあいだ、物が盗まれたことも一切なかった。人々は誰かれの差別なく船へやってきて、船室、貯蔵庫、その他どこへでも好きなところへ勝手に出入りすることを認められていた。---(中略)---にもかかわらず、ただ一つの品物といえども紛失したことはなかったのである。」
「琉球の人々はいちじるしく文明化している。人々は無欲で、完全に満足しているように見える。」
「人は子供たちの躾には労を惜しまない。少年たちは、いかなる野性的なイギリスの生徒にもおとらぬ活気に溢れていたが、それにもかかわらず、野蛮さの片鱗すら見出すことはできなかった。」
※このページのカットは全て『大琉球航海記』の挿絵です。
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